独 り 言(Vol 4) | Home | ExcelVBAPartsCollection | DownLoad | My Profile | ||
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独り言
年月日 |
記 事 |
2003/06/29 |
今日は、梅雨の晴れ間という表現がぴったりするような良い天気でした。そんなわけで、昨日買ったばかりのデジカメのテストも兼ねて茶臼山へ行くか伊吹山へ行くか迷ったあげく、伊吹山へ写真撮影に行ってきました。 |
2003/06/28 |
かねてから欲しかった光学10倍ズームデジカメを手に入れました。花の写真を撮っていると、立入禁止の柵がめぐらせてあるところも多く、3倍ズームでは拡大しても限界があってはがゆい思いをしたことも度々でした。 |
2003/06/22 |
このごろプライベートな時間がやたら忙しくなってきました(仕事の方もそこそこ忙しいんですけどね)。花の写真の取材から編集、ExcelVBAの基礎編の執筆とこれらのHPへのUP。HP・BBSが2つある関係でExcelの質問の回答、投稿への返信。「独り言」への読書感想、ドライブ・花の写真の取材報告。この他に、仕事仲間とのAfter5での交流、チャット
etc。 別に誰に頼まれたという訳でもなく、自分が好んで勝手にやっていることばかりなのですが、どれだけ時間があっても足りません。それでもまだ自分がやってみたいと思うことの半分もできません。碁会所での囲碁の対戦、木曽川流域の風物の取材、歴史小説の紹介など構想だけは盛り沢山なのですが・・・ ということで、今日の読書感想は、最近読んだ歴史小説の題名の紹介程度の内容にとどめさせていただきます。まず、「司馬遼太郎の日本史探訪」。これは対談とインタビュー形式で日本史に登場する著名な人物の思想・人柄とその足跡などを紹介したものです。 次に、津本陽「南海の龍若き吉宗」。徳川幕府8代将軍吉宗の出生から将軍に至るまでの半生記を伝記風に描いた小説です。紀州藩主になるまでの過程では、彼を藩主にと願う家臣らの手によって、吉宗の二人の兄を毒殺したということが書かれてていますが、真偽のほどはともかく、瓦解寸前の藩財政の建て直しを行ったり、領民に対して慈愛に満ちた政策を実行するなど、名君であったことだけは確かなようです。 |
2003/06/15 |
今朝は小雨がパラついていましたが、午後からは雨が止むとの天気予報を頼りに、写真撮影に出かけました。目的は、岐阜「みたけの森」の「ささゆり」と、同じく岐阜の「花フェスタ記念公園」の「バラ」です。 「ささゆり」は文字通り葉が笹とそっくりで、素朴な花です。「みたけの森」は名古屋から車で1時間ちょっとの岐阜県御嵩町にあります。初めて訪れたのですが、自然の森の中に散策路が設けられており、ゆっくり歩いて草花を観察するにはとてもいいところでした。 「花フェスタ記念公園」は、「みたけの森」から車で10分もかからない可児市にあり、品種は1,603種でバラの品種数日本一を誇っています。広大な敷地に花の地球館、花トピアなどの建物の他、音楽広場、日本庭園などがあり子供連れの家族や若いカップルで賑わっていました。 残念ながら、バラの花期は終わったようで、その中でわずかに観賞に耐える花を探してなんとか撮影することができました。 |
2003/06/14 |
幕末の日本を背景にした小説が読みたいと本を物色していたところ、吉村昭「アメリカ彦蔵」に出会いました。この物語は、母親の死を契機に水主としての道を選んだ主人公の彦太郎(後の彦蔵)が、初めての航海で嵐に遭遇して難破。アメリカ船に救助されてからの彼の足跡を描いた小説です。 同時代の難破・漂流ストーリーの小説として、津本陽「椿と花水木・・・万次郎の生涯」のことを以前に書きました。これは彦蔵が救助されてアメリカに渡るのと入れ替わるようにアメリカから日本に帰国した中濱万次郎の物語で、人物の知名度としてはこちらの方が高いのですが、それはアメリカから帰国後の活躍した場の相違によるのかもしれません。 どちらもアメリカで支援者に恵まれ、現地での教育を受けて主に優秀な通訳として活躍したのは共通するところです。ただ、万次郎が幕末期の徳川幕府や明治維新後の新政府が主な舞台であったのに対して、彦蔵はアメリカに帰化した関係もあって、アメリカ政府や商社側に身を置いて日本と関わった点で、当時の日本からみて馴染みが薄い存在であったのが彼の知名度が低い一因であると考えられます。 著者吉村昭は、漂流者としてアメリカに渡った当時の人達の記録を丹念に調べて克明に小説の中に表していますが、あの時代にこれほど多くの漂流者がいたとは思いもよりませんでした。そして鎖国政策をとる日本への帰還が困難を極め、望郷の想いを募らせながら異国の地で果てたり、帰国途上心ならずも死を迎えた人々の心はさぞかし無念であったと想像できます。 また、幕末の騒乱期にアメリカでは南北戦争が勃発し、激動の波に翻弄された人々の心の移り行く様や、彦蔵の人生の変化が時代背景の描写とともに見事に描かれていて、「椿と花水木」とは別の角度から幕末という時代を再認識できた本でもありました。 |
2003/06/08 |
好天に誘われて、約1ヵ月振りに写真撮影に行ってきました。今回は、ちょっと欲張って「花菖蒲」と「紫陽花」の名所二箇所の撮影です。 花菖蒲は、名古屋城の北にある名城公園と名古屋の近郊の知立市にある知立神社です。どちらも丁度見頃で色とりどりの花菖蒲を見ることができました。 紫陽花は蒲郡市の近く形原温泉にある「あじさいの里」。ここは以前も訪れたことがありますが、今回はタイミングもぴったりで、美しく咲き誇る様々な種類の紫陽花を楽しむことができました。 朝、9時に家を出て帰宅したのが午後3時。それから写真の編集をして、ホームページに掲載し終わったのが9時。ちょうど12時間にわたってドライブ、花の観賞、ホームページ作りを楽しむことができ、充実した一日でした。 前回もお知らせしましたが、「花と緑の写真集」は新しいホームページに引っ越してましたので、こちら「http://tosigon.hp.infoseek.co.jp/index.htm」でどうぞ。 |
2003/06/01 |
藤沢周平「密謀(上・下2巻)」、池宮彰一郎「島津奔る(上・下2巻)」を読みました。全くの偶然ながら、どちらも時代は天下分け目の戦いと言われた関ケ原の合戦前後の物語。 いずれも石田光成と対する徳川家康との相克が重要な役割を果たしている。「密謀」は上杉藩の家老、直江兼続と石田光成が交わした徳川勢力打倒の密約に題材を得たもの。「島津奔る」は寡勢で関ケ原に参陣した薩摩藩の藩主の弟、島津義弘と彼を助けるべく薩摩から馳せ参じた下層の領民たちの活躍ぶりを描いた物語。 物語の主人公は徳川勢力との戦いの当事者となっているものの、それぞれの藩主達の関わり方は西軍・東軍といった形での参戦はなく、上杉景勝は謙信譲りの「義」、島津龍伯は歴戦の「勇」として、「家」の誇りと家名の存続を守るための危難を避ける戦であったことが両者に共通していることのように思う。 歴史に「たら」「れば」は許されないというけれども、東西の武門の雄が関ケ原の戦いではいずれも決定的な役割を演じなかったことが、徳川に利したことだけは否めない事実ではなかろうか。それは石田光成にとっても大きな誤算であったであろうし、彼の人徳が薄かったことの証左とも言える。 「島津奔る」では登場人物の性格の設定が、これまでの常識とは一風変わったところがあって面白かったのと、先に読んだ池宮彰一郎の「平家」でもそうであったように、この本でも彼の吏僚(官僚)に対する強い嫌悪感が随所に見られたのが特徴的でもあった。 |
2003/05/31 |
懸案の二つ目のホームページ「Tosigon's
Club」を開設しました。今度は写真中心のページにするつもりです。URLは、「http://tosigon.hp.infoseek.co.jp/」 まだ僅かな内容しか掲載されていませんが、おいおい充実していくつもりです。 なお、今まで「Shun's Page」に掲載していた「花と緑の写真集」「なんでもリンク集」は「Tosigon's Club」へ移動させていただきました。 「Shun's Page」はExcel中心で構成しようと思っています。現在、作成途中の「VBAの基礎」を保存するスペースがようやく確保できましたので、こちらの方もボチボチ内容の追加をしていきますのでご期待ください。 |
2003/05/20 |
昨日、帰宅してから着替えしようとしたところ、妻が泣きはらした目をして「gon亡くなったよ」と一言。「gon」とは家の中で飼っている芝犬のことです。 最近、gonの心臓が弱ってきたせいかめっきり体力がなくなり、目も白内障のためほとんど見えなかったようで、数ヶ月前から夜は妻がgonの側で添い寝していました。また、数年前から自分で餌を食べなくなり、妻がスプーンで食べ物を口の中に入れて食べさせている有様で、人の手助けなしには生きておれないような状態が続いていました。 考えてみれば年齢が15歳にもなっていて、人間であれば90歳前後にはなっているのではないでしょうか。亡くなった日には 2 回も獣医の往診を頼んだそうですが、手当てのかいもなく永久の眠りにつきました。獣医の診断によれば死因は老衰とのことで、苦しまずに済んだのはせめてもの救いでした。 たとえ動物であっても、毎日、生活を共にしていると家族同然となります。言葉が喋れず、吠え方と挙動だけで家族とのコミュニケーションを取るわけですが、それだけに、人間とは異なった可愛さがあります。 冬になって冬毛も生えず、寒さに震えてストーブの前で背を丸めてうずくまっていたり、空になった水の容器の前でじっと器を見て家人が来るのを待っていたり、また、家族の背中や肩に手を載せて遊んでほしいとせがんだりした姿が思い浮かんできます。いざ亡くなってみると、それらの思い出とともにしみじみと淋しさを感じています。 |
2003/05/17 |
ExcelVBA Parts Collectionに「VBAの基礎」を掲載することとしました。VBAを学ぶ場合、まずExcelのマクロ自動記録機能を利用して操作を記録し、作成されたコードの内容を解析するのが最も近道だと思います。 今回は、マクロの自動記録の作成方法から始まり、VBAの用語解説、構文、コードの簡単な記述方法などについてボチボチ作成する予定をしています。 いつかは手掛けようと思ってはいたのですが、先々面倒な作業が待っていると考えると着手するまでには勇気が要りました。以前、自分用に作成したVBAマニュアルがありますので、その中で役に立ち添うな内容をピックアップして掲載するつもりです。VBA初心者の皆さんには何がしかの参考にはなると思います。 |
2003/05/15 |
前回は歴史小説事始でしたが、今日はExcel事始について書きます。 私がWin-PCを初めて手にしたのは1995年4月のこと。そこで、ExcelとWordをどうしたら短期間で覚えることができるか、つらつら考えた挙句、Excelの操作マニュアルをWordで作成することを思いつきました。そうすればExcelとWordを同時にマスターできるというわけです。 まず、市販の解説書と首っ引きでExcelのメニューを片っ端から実行し、利用頻度の高そうな機能を自分なりに編集してWord上でマニュアル化する作業を始めました。単に文章を羅列するだけでは分かりづらいため、例題として使用したExcelデータのハードコピーや図なども挿入することにより、Word操作の習得はもちろんのこと、副産物としてペイント、オートシェーブの使い方もついでに理解できたのは思わぬ収穫でした。 一途、かつ、凝り性な性格もあって、土・日はおろか、平日も家に帰るや否や作業を続け、約3ヶ月でマニュアルが完成しました。しかし、その頃、目の動きと同じように真っ黒なシミのようなものが動いて見えることに気がつきました。職場の保健婦さんに症状を話して原因を尋ねたところ、「飛蚊症(ひぶんしょう)」とのことで、なんと、それ以上作業を続けると網膜はく離になると言われ、びっくりしたことを記憶しています。 Excel Reference Manualは、このとき作ったマニュアルをExcel2000にバージョンアップするとともにホームページ用に再編集して掲載したものです。 |
2003/05/10 |
南原幹雄「銭五の海(上・下巻)」を読みました。この小説は、幕末期、加賀の銭屋五兵衛が質流れの小さな船を手に入れて海運業を始めてから、「海の百万石」とまで言われるような豪商となり、やがては加賀藩の武家社会の政争に巻き込まれて非業の死を遂げるまでの物語を描いています。 幕末期、数年続いた飢饉によって諸藩の財政は困窮を極め、多くは商人からの借財や運上金と呼ばれる藩への上納金によってなんとか藩の財政を維持していたようで、実質的には士農工商という身分社会の最下層に位置付けられていた商人が当時の経済を支えていたことになります。 銭屋五兵衛も加賀藩には莫大な運上金を納めていたのですが、武家社会との相克の中で罠に陥ち、命とともに全ての財産まで没収されてしまったのは悲運としかいいようもありませんし、同時に権力の惨さというものを如実に物語っています。 歴史小説の面白さは、記録に残された歴史の事実や故事来歴を知ることだけではなく、事実の裏側にある意外な側面を発見することができたり、事実と事実の間にある空白が作者の想像や推理によって巧みに埋められ、事実とフィクションが織り成す物語としての楽しさを味わうことができるというところにあると言えます。 また、司馬遼太郎の小説に言われる「司馬史観」のように、作者自身が物語を通して語る歴史観や人間観なども大いに興味の引かれるところで、実生活においても参考になることが多々あります。 私が歴史小説に親しむようになったのは、友人と"日本の歴史を小説で繋いで読んでみるのも面白いだろうなぁ"、と話したのがきっかけです。以来、かれこれ20年近くも続けていますが、数年前に宮城谷昌光の小説を読んでからは中国の歴史小説にも手を出すようになってしまいました。 これからも歴史小説とのお付き合いはしばらく続きそうですが、それにしても本の保管場所をなんとかしなくては・・・ |
2003/05/04 |
三連休の真ん中の今日、少々欲張って「りんご」と「梨」の花の写真を撮りに行きました。目的地の第一番目は長野県・安曇野の三郷村一帯のりんご園、第二番目が同じく長野県・松川町の梨園です。自宅を8時30分に出発。 東名高速・小牧ICから中央道を経て長野道・松本ICで降り、国道158号線を上高地方面へ。鍋割というところから右折して、アルプスの山麓を北上すると安曇野・三郷村があります。一面のりんご園は見ていて壮観な感じがしました。 りんごの花をこれだけ間近に見たのは初めてですが、白くて綺麗な花でした。遠くに見える雪を被った山は確か、常念岳だと思います。写真ではあまり鮮明ではありませんが、残雪がとてもきれいでした。 松本を2時に発って、往路と同じ高速道を南へ松川ICへ。インターを降りると、付近はりんご園と梨園が点在しています。今回、初めて梨園を訪れたのですが、梨の木の枝をぶどう棚のように這わせてあるのには驚きました。花はりんごと同じように白。ふわっとした感じのとても美しい花です。 今回の走行距離は500km。高速道路の両側には、房を伸ばしかけている藤、遅咲きの桜、唐松の新緑など、色とりどりの木々の花や新緑を楽しむことができ、久々にリフレッシュすることができました。途中、道路が渋滞して家に帰り着いたのは夜7時30分。いつものように、写真を「花と緑の写真集」に掲載します。 |
2003/04/29 |
いよいよゴールデンウイークに入りました。この頃は、この時期、わざわざ混雑の中へ出かけるのをやめて、ジッと家に居ることが多くなりました。その代わり、5月半ばに長野県の高原へ新緑を見に行くこととしています。 ただ、例年と異なるのは、今年から「花と緑の写真集」の制作を始めたこともあって、名古屋近郊の花の名所巡りに出かける予定をしています。 今日は、とりあえずあてずっぽうに出かけてみようということで、名古屋城と徳川園に行ってみました。名古屋城に隣接している名城公園では藤の花が満開で薄紫やピンク系の美しい花を見せてまれました。 また、徳川園は知る人ぞ知るボタンの名所です。ここも色とりどりのボタンが咲いており、ぴったりのタイミングで写真を撮影することができました。ボタンと言えば奈良県桜井市の長谷寺があまりにも有名で、スケールも徳川園とはとても比較にはなりませんが、花をアップで撮影するのであればどこも同じと、適当な理由を見つけて近場で我慢することにしました。 今日の成果品を早速「花と緑の写真集」にUpしましたのでご覧下さい。 |
2003/04/27 |
最近、このホームページに対する感想とか、お礼のメールを時々いただけるようになりました。こうしたメールをいただくと、数あるサイトの中から見ていただいているという嬉しさを感じるとともに、内容をおろそかにしてはいけないなぁという自戒も含めて大いに励みになっています。 この機会に、このホームページを作ることになった理由などをご紹介します。 私自身がExcelの勉強を始めて以来、「ヘルプ」があまりにも使いづらく、目的の操作方法を容易に調べることができなかったこと。また、市販の本にはExcelの機能の解説はもちろん書かれていますが、「自分の実行したい作業をするための操作方法」がどこに書いてあるのかよくわからない。要するに目的と手段との関係が結びつきにくい、どちらにしても、ユーザーに対しては不親切ではないか、もう少し別の編集方法があるのではないかという疑問をかねがね持っていました。 仕方がないので、なんとか苦労して調べた内容をExcelのシートに書き込み、見出しをつけて記録していくうちに、自分用の辞書がある程度まとまった形で出来てきました。 2年程前、せっかくこれだけの辞書を作って、自分なりに重宝しているものであれば、ひょっとしたら他の人にも役立つのではないか、と思ってホームページの作成を思い立ったわけです。自画自賛と笑われるかもしれませんし、内容的にはまだまだ随分改良の余地があるのも事実です。 中には、「独り言」だけを読んでおられる方もおいでのようですが、それはそれとして、興味のある部分だけでも読んでいただければいいのかな、とも思います。 冒頭にも書きましたが、こういった読者からの声に励まされながら、これからもぼちぼちと充実させていければと考えているところです。 |
2003/04/26 |
昨日、出張で東京へ行ってきました。あいにくの雨で車中からの景色を楽しむことは断念して、名古屋を出発する前に本屋さんに立ち寄り、池宮彰一郎「平家(中巻)」を買い求めました。往路は、鞄に入れてあった同じ本の上巻の読み残しを読んだ後、ひたすら中巻を読みふけっていました。おかげで、車中の2時間は退屈をすることもなく、少々読み疲れを感じ始めた頃に東京駅に着きました。 仕事のことはさておいて、帰路のことです。東京発20時10分発のひかりに乗って座席について鞄から読みかけの本を取り出そうと思ったとき、隣に居合わせた年恰好は私と同じくらいの男性の乗客が話し掛けてきました。 小説を読もうと思っていた矢先のことだったので、私の好きな歴史小説のことに話を向けると、どうやら先方も同じような趣味の持ち主であったらしく、すぐ話に乗ってきてくれました。 話題は、中国の春秋・戦国時代や日本の幕末時代の小説のことに始り、日本と中国・西洋の行動規範や宗教観の違い、第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツの戦後処理のこと、地方分権のことなど、いろいろな話題に花が咲きました。 また、彼は神戸市在住ということで、阪神淡路大震災のときの貴重な体験を聞くこともでき、楽しく、かつ、有意義な時間を過ごすことができました。一期一会といいますが、こういうふれあい場を得ることができる列車の旅もまたいいものだな、と改めて感じた次第です。出張に感謝。 |
2003/04/22 |
今朝の通勤途中、道筋に植えられている里桜の花びらが風に舞い散って、歩道をピンクに染めていたのが印象的でした。 「花と緑の写真集」を作るようになってから、今まであまり気に留めなかった木々の花や道端に咲く草花が、妙に気になるようになりました。自宅から地下鉄駅までの700mほどの間の道や、家々の庭にもいろいろな種類の樹木が植えられており、季節の移ろいとともに美しい花を見せてくれます。ただ、残念なことに名前がわからないものもあって、植物図鑑を買ってこようかと思っているところです。 これまでも山で撮った高山植物の写真がPCのファイルに眠っているのですが、ほとんど名前がわからないためご紹介するのをためらっています。高山植物は、痩せた土地とか過酷な条件の中で育っているせいか、可憐な花が多く、また種類も豊富ですので名前を調べるのも一苦労です。でも、美しい花を愛でながら一つひとつ名前を覚えていくのも楽しいものです。 これから、いよいよドライブには絶好の季節になりますので、花便りを参考にしながら野山の花巡りをしていくつもりです。 |
2003/04/20 |
久々に宮城谷昌光の本が2冊出版されました。もちろん、今や遅しと新刊本の出版を待ち望んでいたところなので、即、買い求めたことはいうまでもありません。 1冊目は「歴史のしずく」。これは、彼の体験に裏付けされた人生観・想いといったものを、個々の小説の場面々々に凝縮して表現した言葉の数々をまとめたもので、いわば彼の著作の中で彼自身が生み出した名言集のようなものです。 「あとがきにかえて」の中で彼はこう述べています。「作家の生活というものが偽りのない、うそのないものであれば、ことばにもおのずとそういった真実や、誠実さというものが反映されるのではないか」 また 「わたしはわずかでもいいから、成長したい、昨日よりも今日のほうがいいものを書きたい」「ことばがひとの心を打ち、ひとの助けになるというのは、書くひとのそういう部分がひとつひとつ、ことばに反映してくるからではないかとおもうのです」。 宮城谷昌光の小説に惹かれるのは、まさに作者のこのような著述にあたっての姿勢そのものに共鳴できるからなのかもしれません。 2冊目は「管仲(上・下2巻)」。「管鮑の交わり」という言葉が今に残っています。これは、中国・春秋時代の国、斉の名宰相と謳われた管仲と盟友の鮑叔の厚い信頼関係と友情を形容するものですが、この本は二人の出会いから管仲と鮑叔が紆余曲折を辿りながらも、斉の国を背負って立つに至るまでを描いた物語です。 優れた人材を登用するには、目先の小さな損得・好悪に拘泥しない大きな度量が必要とされるわけですが、彼らが国事に携わり、後世にまで名を残すようになった背景には、彼らの能力・才能を正当に評価し、それを用いた人物もまた偉大であったということが言えると思います。 先週末から風邪気味で、外出を控えて家で時を過ごすほかなかったという事情もあって、上・下2巻を数日で読み終えてしまいました。 |
2003/04/19 |
三度目の正直ならぬ、四度目の正直?
で検索サイト「Google」のカテゴリに、このHP「Shun's Page」が登録されました。どういうことかというと、GooGleからこのページを探すときに、トップ画面で「ディレクトリ」→以下、「コンピュータ」「ソフトウエアー」→「表計算」→「Excel」を選択していくと「Shun's
Page」のタイトルが表示されるというわけです。 カテゴリ登録されるには審査があって、今まで申請しても掲載されなかったのですが、この度ようやく登録されたのです。どうして何度も申請したかということを疑問に思われるかもしれませんね。それは、かって同じように「Yahoo Japan」へのカテゴリ登録がされとたんに、アクセス件数が一挙に10倍にハネ上がったという嬉しい経験があったからです。 「夢よもう一度」というわけではありませんが、せっかく作ったホームページですから、沢山の方に見ていただきたいと思うのは、同じようにホームページを作っておられる方にはおわかりいただけるんじゃないかな。さて、結果はどうなるか・・・ |
2003/04/17 |
今日は6月の陽気とかで、名古屋は暑いくらいでした。ところが、ここ数日の飲酒と睡眠不足が祟って風邪気味。幸い、熱が出るほどではないのでなんとか出勤はできます。 風邪といえば、よく似た症状の花粉症の人が最近特に目立つように思います。私が子供の頃、花粉症の人は居るにはいたんでしょうが、こんなに大勢ではなかったはずです。原因の一端は戦後の植林にあるとも言われていますが、人間の体質がもろくなったのか、有害物質が増えて徐々に人間を蝕んでいるのか、定かではありませんが、その増え方が異常とも言える勢いです。 抗菌製品の氾濫に見られるように、最近の潔癖志向もまた異常ではないかと思われます。雑菌と共存することによって抵抗力が養われている面もあるのだと思えるのですが・・・。このままの状態が続くと人間の免疫力が低下して、ひ弱な体質になってしまうのではないかと心配もします。 一時、環境ホルモンが話題になりましたが、人間が開発した様々な科学物質が僅かな利便性や快適さと引き換えに、大切な命を縮める結果をもたらすとしたら、科学の進歩とは一体なんであったか、と後悔の念をもって問う日が来るかもしれません。 今月7日は鉄腕アトムの誕生日だったそうですが、御茶ノ水博士が生きていたらどういうコメントが返ってくるんでしょうか、聞いてみたいものです。 |
2003/04/14 |
「波乱万丈」という言葉は、ジョン万次郎(後の中浜万次郎)のためにあるのではないか、津本陽「椿と花水木・・・万次郎の生涯(上・下巻)」を昨日読み終えてそんな感じがしました。 万次郎は小さな鰹船で航行中、大シケのため遭難して無人島に漂着し、アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」(万次郎の「ジョン」はこの船の名前に由来する)に救助されてアメリカに渡る。英語はおろか日本語の文字すら読み書きが満足に出来なかった彼は、同船のキャプテンに家族同様の扱いを受けて学業に励み、主席で卒業の快挙を成し遂げました。 その後、念願の日本に帰りついた彼は、折からの黒船騒ぎにより江戸幕府に通訳・教授方として召され、幕末から明治にかけての激動の時代に活躍することとなります。こうした彼の軌跡を見ていると、持ち前の才能はあったにせよ、人の何倍もの努力と、人間観から発する気迫が彼をして成功に導いたものと思います。 この本は、人間の勇気とか、価値のありようについて、改めて考えるキッカケを与えてくれた本でもありました。 |
2003/04/13 |
このところ日曜日は天気に恵まれ、今日も暖かな過ごし易い日となりました。という訳で、かねて予定していたチューリップを撮影しようと、木曽川・揖斐川・長良川が堤ひとつ隔てて合流するところに作られた「木曾三川公園」へ出かけたところ、公園の遥か手前から大渋滞。ある程度の混雑は予想していたものの、まさかこれほどとは思いもよりませんでした。 朝10時半に家を出て11時半には到着するはずだったのですが、午後1時半になっても駐車場にたどり着けず、諦めて撮影を中止してしまいました。夕刻には、HPの「花と緑の写真集」に美しいチューリップの花を飾ることができたはずなのに、残念無念。 仕方なく喫茶店に立ち寄って、午後2時過ぎ、朝食と昼食兼用でピザとコーヒーを注文し、持参した本(津本陽「椿と花水木」・・・万次郎の生涯・・・上・下)を30分ほど読んでから3時半に帰宅。虚しい時を過ごしてきました。 来週あたりから、この地方では藤の開花が始まりそうですが、これから夕食までの時間に撮影ポイントを選ぶことにします。 |
2003/04/09 |
吉村昭の本で「桜田門外ノ変(上・下)」「生麦事件(上・下)」を読みました。両方とも幕末の黒船到来以降の騒然とした中で発生した事件を扱った小説です。この二つの事件は、尊王攘夷から倒幕へと、後に日本の方向を変える契機となった出来事でもあったといわれています。 幕末から戊辰戦争を経て明治に至る過程は、いろいろな小説で表されています。その主人公は西郷隆盛、坂本竜馬、勝海舟、近藤勇といったお馴染みの顔ぶれが多いのですが、上記の2冊はそれとは一味異なっていて、別の面から時代を見ることができた点で興味を持って読み進めることができました。 吉村昭の本はまだあまり読んでいませんが、なかなか取材も行き届き、精緻な筆運びながら、物語としても楽しまさせてくれました。 |
2003/04/06 |
日曜日の今日、前日の風雨も収まり、先週同様に好天に恵まれたこともあって、桃の花の写真を撮ってきました。場所は、愛知万博の開催予定地の愛知青少年公園の東、猿投山麓の桃園です。 名古屋市内を出て猿投グリーンロードに入ると、万博会場へのアクセスとなる東部丘陵線の高架工事が急ピッチで進められていました。道の両側にはところどころに満開の桜が咲き誇っているかと思えば、木々の梢には春の芽吹きがちらほら見え、本格的な春の訪れを感じさせてくれます。昼時とあつて交通量もさほど多くない有料道路を猿投ICで降りて南へ向かうと、丘のところどころが一面ピンクに染まっているところがあり、ひと目でそこが桃園だということがわかります。いよいよ目的地に到着。 桃は、木の形は梅に、花の形は桜に似ていますが、花の色は桜より濃いピンクで、それはそれなりにまた違った美しさがあります。満開というにはまだ少しばかり早かったようですが、それでも桃園に面した道路では花見に訪れた家族連れや若いカップルが車を止めて山間の春を楽しんでいました。 |
2003/04/03 |
今週の日曜日、久し振りに好天に恵まれたので、名古屋の主だった桜の名所を回ってデジカメで撮影してきました。立ち寄ったところは、清洲城、名古屋城、鶴舞公園、山崎川、東山動植物園の5箇所です。東山はまだ3分咲きぐらいでしたが、その他は概ね満開でした。 駆け足での撮影で、ゆっくり花を楽しむゆとりはありませんでしたが、それでもうららかな春の一日を堪能することができました。そのときの写真を「花の写真集」に掲載しておきましたのでご覧いただければ幸いです。 |
2003/03/29 |
今日から新しいページに書くことにしました。本当はキリのいいところで4月から、と思ったのですが、前ページが重くなってきたので予定を早めました。 第1回目は、またまた本の話からです。先日、仕事の帰りにふらりと本屋さんの新刊本コーナーに立ち寄ってみたら「立花隆秘書日記」という本が目に留まりました。著者・佐々木千賀子は1993年から5年間、ノンフィクション作家であり、かつ、評論家でもある立花隆の秘書として彼の著作活動を陰で支えてきた方です。 「知の巨人」といわれる立花隆ですが、この本によってその知識の一端は彼女や出版社の編集部員による資料収集、取材活動の地道な努力によって培われてきたものであることがよく理解できます。また、1冊の本が製作されるまでの舞台裏を垣間見ることができる貴重な記録として、立花隆ファンである私の好奇心を十分満足させてくれた内容でした。 著者が「さいごに」の中で、立花隆から「田中真紀子研究」という本を贈られて、「調べて書いたものはもういいです。そういった仕事はもう十分すぎるぐらいやってきたではありませんか」「立花隆という一人の人間がリアルに感じられるものを読みたい」、また、「いまや立花隆は言論界の権力そのものなのです」とも述べ、彼の近辺には彼に対して直言できる人がいないことを心配しています。これは彼の身近にいた人間にしか語れないことかもしれませんが、同感する部分も多々ありました。彼女の勇気にも喝采を送りたいと思います。 |